品薄解消へ、メーカーの意地見せる
保谷納豆 <上>

 震災直後、都内周辺から納豆が消えた。市場の約六割を占める茨城県や千葉県などにある大手メーカーの工場が被災し、流通量が激減した。これに対し、東京の東村山市で納豆を生産している保谷納豆は休日返上で、増加する注文に対応し続けた。

経木で包む手作り納豆は、震災直後一時中断せざる
をえなかった

 都内周辺の小売店で「モノ不足」が続いていたが、特に品薄な商品の1つが納豆だった。 産地の中心である北関東で、地震のため工場が操業の一時停止を余儀なくされたり、配送網が打撃を受けたためだった。
 道路が徐々に復旧し、都内スーパーにも納豆が入荷するようになっても、あっという間に売り切れてしまった。入荷はしたものの、買い物客が「われ先に」とばかりに次々と購入するためにすぐなくなってしまった。空の販売ケースにかかった「お1人様1パック限定」という札がその状況を物語る。
 牛丼チェーン店の「朝定食」からも納豆は姿を消した。

 市場の約六割を占める茨城県や千葉県などにある大手メーカーの工場が被災し、流通量が激減したためだ。そこで都内の納豆工場に供給の期待が寄せられる。

     木内社長

 保谷納豆は地震そのものによる設備の大きな被害は免れたものの、その後の計画停電の影響は避けられなかった。計画停電の影響で生産が落ち込んだ分を取り戻し、増加する注文に対応しようと、日曜日にも工場を稼働させた。およそ50品目あった商品の種類も20品目まで絞り込んで供給力確保に努めた。
 激減した大手メーカーの流通量をカバーするため、同社への発注量を通常の50倍に増やした取り引き先もあったという。
 同社は商品の四割に国産大豆を使用していたが、被災で物流が滞り、北海道産の大豆の入荷が遅れたため、急きょ一部を外国産に切り換えて対応した。納豆を経木で包むといった手の込んだ商品は、製造を一時中断せざるをえなかった。
 「商品供給を果たすのがメーカーとしての当然の責務」と木内節雄社長は言い切る。「限られた人員の中で、日曜日にも工場を稼働させなければならず、従業員には大変苦労を掛けたが、皆黙々と自分の仕事に取り組んでくれた」と労う。
 都内と北関東、東北を結ぶ道路の復旧が進んで配送網が確保され、工場の操業も多くが再開したことにより、納豆の品薄は解消に向かっている。ゴールデンウィーク明け、同社はおよそ2カ月ぶりに通常の稼働日程に戻す判断をした。

大豆を煮る工程、従業員はおよそ60人、全員が商品供給に全力を注いだ

フードエンジニアリングタイムス 2011年5月18日号掲載